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偉大なろくでなしの輝き

レスラー

 かつて栄光をほしいままにしていた男が、様々な理由で現在はどん底で辛酸をなめている。それがある切っ掛けで再び栄光をつかむために立ち上がる――映画に限らず書きつくされ、そしてこれからも書かれていくだろう物語のテーマでありますが、この映画はその中でもある種変わったものであるかも知れません。

 5年ほど前の映画ですが、見たきっかけはあるラジオ番組での解説動画を見たからでした。気になる人は「宇多丸 レスラー」でググってみてくだせぇ。というかそれを聞いて素直に借りてきた方が何かと早いかもしれません。

 ともあれ、映画の舞台はプロレスです。それも日本ではなじみの薄いアメリカンプロレスの世界。
 ここで大事なのは、10年以上前にアメリカでは最大の興業団体が「俺らのやってる事は段取りを組んだエンターテインメントだから!」と認めている事なんですね。でないと映画の最初の方で、主人公ランディと対戦相手、あるいは前座のレスラーたちが綿密に打ち合わせをしているシーンを見て「八百長じゃねーか!?」と見当違いの怒りを覚えてしまいかねませんから。
 確かにランディたちのしている事は、リングの上で行われる演劇なのかもしれません。
 でも、彼らの感じている痛みは本物です。流れている血も本物です。だからこそ試合の終わった後、彼らは一つの舞台を演じ切った仲間として舞台裏でお互いの健闘を讃えあうんですよ。
 その世界で、かつてのランディは栄光と称賛をすべて掴み獲ってきました。そしてそれ以外の生き方を知らず、知ろうともしませんでした。
 月日はあっという間に流れて、50歳を超えた彼は未だにリングに立ち続けています。ガタのきていない所などない体を引きづり、50人も観客が入らないような地方の小学校の体育館で痛みに耐え、血を流しながら週末のリングに立ち続けています。それ以外の時間はすべて、彼にとっては価値を持たず感じられない色褪せたものでしかありません。
 破天荒な生き方に愛想を尽かした家族から捨てられ、医者には「もうリングには立つんじゃない」と止められる。不器用に心を通わせていたストッパーとは、互いの歩んだ年月が枷となり恋愛には踏み出せない。引退を決意し、娘と修復しようとした親子の関係は、よりにも寄って自身の愚かしい行動ですべてご破算と化す始末。
 はっきり言ってランディはどうしようもないロクデナシです。どう贔屓目に見ても、愚かな道を自ずから突き進んでいるとしか言えません。
 だけど彼を見て「なんでさっさと引退して別の道探さねぇんだよ。馬鹿じゃねぇの?」などと賢しげに言う事など、俺にはとても出来ませんでした。
 だって、ランディにとってプロレスこそが己の生き様なのだから。体を張って仲間たち、そして観客たちと作り上げる一夜の幻想こそが彼にとっての現実であり、それに誇りを持っている。それが自分自身に破滅をもたらす事を理解していても、その幻想を守ることこそが使命なのだと覚悟している。
 だから彼は最後にトップロープに登り立ち、己自身であるフィニッシュホールド「ラム・ジャム」を放つべく飛び立つんです。
 
 そら泣きますよ。
 こんなの見せられたら、涙なしでは見られませんよ!
 ランディを演じているミッキー・ローク自身が、栄光の80年代と屈辱と失意の90年代を歩んできたがゆえに、ランディは俺だ! 俺がランディだ! と言わんばかりに渾身の演技をスクリーンにぶつけてくる。制作陣も、その魂を奇をてらわず真摯に受け止め作品に作り替えていく。
 別にプロレスなんか知らなくたっていいんです。10代や20代じゃ分からないかもしれない。でも何らかの挫折を一度は味わい、それでも今を必死で頑張っている人はこの作品が描きだす物に、きっと魂を揺さぶられる筈です。
 ビデオ屋でこのパッケージを見つけたら、迷わず手に取り借りてみてほしい。心の底からそう思う、そんな作品でした。
 
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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

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